とお子ちゃんとゆみちゃんのとっぷに もどるまえへつづきへ


とお子ちゃん…晩夏

椿山の未香峰原っぱには咲き始めのコスモスが揺れていました。とお子ちゃんはこの原っぱの隅で、ひざの高さ位しかないよじれた萩の木のそばにしゃがんでいました。

さっきまで原っぱで遊んでいた子供たちはみんな帰って静かです。

誰かの忘れ物でしょうか、原っぱの真中に赤いボールの様なものが転がっているのが見えました。

とお子ちゃんはその赤い色を見るともなしに見つめました。

(何するの?それ、私のよ!)

長いこと忘れていた思い出が、不意によみがえって来ました。

***

もう随分昔のこと、気がつくと とお子ちゃんは4、5人の女の子がお正月の晴れ着を着て楽しそうに遊んでいる座敷の隅に佇んでいました。その中で一番年長らしい女の子が澄んだ声で唄を唄いながら投げ上げてはまたつかまえて遊んでいる小さな丸いものに、とお子ちゃんの眼は釘付けになりました。

2つ、いえ3つある玉を器用に扱いながら唄い続けるその子を、やがて周りの子たちも息を飲んで見守りました。

赤いちりめんの端布に蕎麦殻でも詰まっているのか、女の子の手の中に落ちる度に、玉はかすかにシャン、シャンと鳴りました。長い長い童唄が終りに近付く頃には、周りの子たちの眼差しを受けて、みんなに「お絹ちゃん」と呼ばれるその子の頬も玉の色に染まっていました。

とうとう唄い終えてお絹ちゃんが白い小さな手の中に守備良く3つの玉をつかまえてしまうと、みんなは「わぁっ」とどよめいて、口々に「お絹ちゃんすごい」「どうしてそんなに上手なの?」とか「次、わたしに教えてよ。」とか言いました。お絹ちゃんの瞳も、いよいよ嬉しそうに輝きました。

そのとき、若い女の人の声が「はいはい、甘酒がはいりましたよ。」と呼んだので、みんなはまた「わぁっ」と喚声を上げて、揃って隣の部屋へ駆けて行きました。

座敷に残された3つの赤い玉に、とお子ちゃんは吸い寄せられるように近付きました。そして、そぉっと、柔らかいちりめんの玉を拾い上げて見ました。

そのままさっきのお絹ちゃんを真似て、玉を次々に投げ上げてみましたが、遊び馴れないとお子ちゃんはすぐ畳の上に玉を落してしまいました。それでも訳もなくうれしくなって、もう一度玉を拾い上げたその時です。

「何するの?それ、わたしのよ!」という鋭い声が飛びました。

振り返るとお絹ちゃんが座敷の戸口で睨んでいました。そのまますたすたっと近付いてきたかと思うと、お絹ちゃんはすごい勢いでとお子ちゃんから玉を取り返し、びっくりするほどの力でとお子ちゃんの肩をぐぃっと押しました。

呆然としていたとお子ちゃんはどんっとしりもちをつきました。

とお子ちゃんが何も言えずにいると、奥からさっきの女の人の綺麗な声が呼びました。

「絹さん、どうしたの?」

「かぁさま、来てよ!わたしのお手玉を知らない子が…。」

「まぁまぁ、なぁに?」

奥から人が近付いてくる気配がして、とお子ちゃんはいたたまれなくなりました。

けれども一番とお子ちゃんを打ちのめしたのは、座敷をのぞいたお絹ちゃんのお母さんの一言でした。

「あら、誰もいないじゃない。」

***

我に帰るととお子ちゃんは細く這うような萩の小枝を折れるほど握りしめていました。

もう一人のとお子ちゃんが小さくつぶやいたようでした。

「タダ、チョット、サワッテミタカッタノ…。」

眼に大粒の涙があふれてきました。

思えばあの日、とお子ちゃんは一編に色々なことを知ったのです。

もう昔のことなのに、むしゃくしゃしてむしゃくしゃして、切れそうなほど唇を噛んでいたら、山の向うに陽が沈みました。


とお子ちゃんとゆみちゃんのとっぷに もどるまえへつづきへ