とお子ちゃんとゆみちゃんのとっぷに もどる、 まえへ、 はじめへ
もう秋になろうとしていました。ゆみちゃんは土手向うの公園に向かっていました。
今日は割合元気だったので、久しぶりにお散歩に出てみたのです。
ビロードのように黒く光るはねを持った、ゆみちゃんの大好きな大きな蜻蛉が河原には沢山飛んでいるはずです。白い帽子を被ったゆみちゃんはまっすぐ歩いて行きました。
ゆみちゃんは土手の斜面に腰を下ろして川を眺めました。もう水は冷たくなり始めているはずですが、2、3人、川の中に入って釣りをしている人が見えます。河原近くをお目当ての蜻蛉もひらひら飛んでいます。土手の裾の方には青紫蘇のおばけのような麻の茎が風に揺れていました。グラウンドでは何人かの子供が遊んでいるのも見えました。
ゆみちゃんが鞄の中のあめの袋を探ると、何か筒状のものが手に触れました。作ったばかりの万華鏡を持ってきていたのです。取り出してお日様にかざしながら覗きこんでみると、色とりどりのビーズが次々に綺麗な模様を作りました。
昨日工作の探し物をしていた時、チェストの奥から出てきた小さなハンカチの包みを見てゆみちゃんはびっくりしました。包の中には、バラバラになったお父さんの力作のおもちゃが入っていたのです。うまく直すことも出来ず、さりとて捨てる気にもなれずに、ここにしまい込んだまま、いつか忘れていたものでした。
「夢じゃなかったんだ…。」
あの、不思議な女の子。名前は、そう、とお子ちゃん…。
胸がちくっと痛みました。
今でも訳が分からない、あの出来事…。
「いつか直せるといいな…。」
幸い探し物はすぐ見つかり、ゆみちゃんは包みをチェストに戻しました。万華鏡が出来あがったのは夕方遅く、お母さんが帰ってきた頃でした。
夢中で万華鏡を覗いていたら、蜻蛉が飛んできて、ゆみちゃんのひざに止まりました。
「かなちゃんは黄色が好きだから、黄色いビーズを沢山入れてあげよう。」
「みなちゃんはピンクかな…。」
あれからみなちゃんのお家がとても近いことが分かり、みなちゃんはよくかなちゃんと互いの家を行き来するようになっていました。ゆみちゃんの家にも、二人で良く遊びに来ました。ゆみちゃんは二人にも、それぞれ手作りの万華鏡をつくってあげようと、こっそり準備していました。
「気に入ると、いいけどな…。」
そよ風に吹かれて万華鏡を覗いていたら、ゆみちゃんの顔は知らないうちににこにこして来ました。
その時でした。
グラウンドの方から風のように誰かがやって来て、いきなりゆみちゃんの手から万華鏡をひったくると、地面にたたきつけました。中でガラスが割れる音がしました。
驚いたゆみちゃんは相手の顔を咄嗟に睨みつけました。
そこに立っていたのは、あの去年の女の子でした。
「とお子ちゃん…。」
とお子ちゃんは不意に名前を呼ばれてどきっとしたのか、口を尖らせたまま目を逸せました。呆然としていたゆみちゃんは、だんだんに我に帰ると、思わずどなりました。
「またなの? どうして、そういうことばっかりするの? ひどいじゃない!」
暫く黙ってゆみちゃんを睨みつけていたとお子ちゃんは言いました。
「ふんだ…。こんなところにそんなもの持ってくるのが悪いんだろ。」
「何言ってるの?一体わたしが何したのよ! もの壊す前に何が気に入らないのか言いなさいよ!」
「うるさい!えらそうにあたぃに指図するなぃ! あんただって、あたぃのこと殺そうとしたやつらの仲間のくせに!」
「…何言ってるの?」
「何さ!あんたなんか…、歩いてるの見るだけでむかつくんだよ!」
ゆみちゃんはびくっとひるんで一瞬何も言えませんでした。
「ふん。あんたなんか、苦しいことなんて何にも知らないんだろ!だからそんなことが言えるんだぃ!」
「何言ってるのよ!とお子ちゃんのいうこと、全然分かんない!あなた、わたしのこと何にも知らないでしょ! わたしだって、はじめからあなたのことなんて知らないわよ!わたしのものをいきなり勝手に壊さないでって言ってるだけでしょ!」
「うるさい、うるさい! そうやって、あたぃの持ってないもの持ってるところを見せて、意地悪しようとしてるの、あたぃはちゃんと分かってんだぃ!」
とお子ちゃんの目が真っ赤になって涙がぼろぼろこぼれてきました。
「何さ、あんたなんか…。あたぃには、なんにもない! あたぃにだけ、全然なんにもない!あんたみたいなやつが、全部悪いんじゃないか!何であたぃにばっかり文句言うんだよ!」
訳が分からないまま、ゆみちゃんは息を飲みました。その時、
「お姉ちゃん!」
という声がしたかとおもうと、小さな女の子が土手を駆け下りて来てとお子ちゃんに抱きつきました。みなちゃんでした。後からやって来たかなちゃんがゆみちゃんに気がついて、とお子ちゃんとゆみちゃんの顔を代わり番こにぽかんと眺めました。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
とお子ちゃんは、まぁるくなって泣いていました。
「ゆみちゃん、お姉ちゃん、泣かせたの…?」
みなちゃんが振り返って訊きました。
「そう…なるの…?」
ゆみちゃんのお腹の辺りがずきんとしました。みなちゃんは悲しそうにとお子ちゃんに向き直ると、
「お姉ちゃん、なかないで、なかないで。」
と言って、とお子ちゃんの頭を小さな手で何度も撫でました。
とお子ちゃんははじめ顔を背けてみなちゃんの手を払いのけていましたが、やがてそれもやめて泣きました。
ゆみちゃんは唇を噛みました。ゆみちゃんも泣きたい気分でした。
ふと足元を見ると壊れた万華鏡が転がっています。
「もしかして、欲しかったの…?」
ゆみちゃんはつぶやきました。
「ねぇ! とお子ちゃん、もしかして、おもちゃが欲しかったの? もしそうならそう言えばいいでしょう!? どうして、いきなりもの壊すのよ!」
「うるさい、うるさい、うるさい! 分かったようなこというなぃ!」
とお子ちゃんはみなちゃんを払いのけて、足元の土をゆみちゃんに向かって投げつけると、くるりと背を向けて走り出しました。
そして、ゆみちゃんたちは見ました。
まっすぐ河面の上を走り抜けたとお子ちゃんは、向こう岸の大きなカツラの木陰に入りかけたところで、ふわっと消えてしまったのです。
ゆみちゃんたちは暫くその場に、ぽかんと佇んでいました。
家に帰ってきたゆみちゃんの目から、今更のように涙がこぼれました。とお子ちゃんが消えてしまったことには、不思議なほど驚いていませんでした。
「わたしが悪かったのかなぁ…。」
何だか納得が行きません。
(みなちゃんたちはもう、遊びに来ないかも知れないな…。)
「それならそれで、仕方ないかぁ…。」
その夜は何故かとても疲れたので、ゆみちゃんはお夕飯も食べずに寝てしまいました。
次の日の午後、ゆみちゃんはお家の工作机の前に座っていました。
「どうせ、展覧会に出すの作りなおさなきゃいけないし、なほさんに渡せばいいから かなちゃんたちのも作るし、3つ作るのも4つ作るのもおんなじだし…。」
「良く分かんないけど、泣かせちゃったし…。」
誰もいないのに、真っ赤なお目めをして口を尖らせたまま、何やらぶつぶつ言っています。
数日後、ゆみちゃんは昔使っていた外出用のおもちゃ袋を抱えていつもよりちょっと遠くまでお散歩に出ました。
袋にはフェルトで作ったとお子ちゃんに良く似た女の子の顔が貼り付けてあります。中には、手作りの万華鏡と、それに何となく思いつきで、いつか縁日で買ってもらったおはじきとお手玉が入れてありました。
遠回りして橋を渡って、この間のカツラの木の側までやって来ました。高く枝を広げた木の周りを何となくひと周りして思案した末、一本だけちょっと低いところから出ていた枝のところに、なんとか袋を引っかけて帰りました。
ゆみちゃんの顔に、少し笑顔が戻っていました。
それから3年経ちました。あれ以来、とお子ちゃんには会っていません。暫くして行ってみると、おもちゃ袋は消えていました。けれども本当にあれで良かったのかは、今でも良く分かりません。
いつしか、学校へ行くようになったかなちゃんたちもほとんど遊びに来なくなり、やがてとお子ちゃんのことは、「やっぱり夢だったのかな。」とも思えて来ました。
ある日のこと、ゆみちゃんは月ん子の会のいつものコミュニティルームに向かっていました。その時不意に、通り過ぎようとしたドアの向こうで、子供たちの笑い声がしたのです。思わずちらりと覗いた戸の隙間に、あの日のままのとお子ちゃんをゆみちゃんは見たような気がしました。