雪絵さんにとって、これまでになく活動的な夏が過ぎました。
9月の中頃のある晩にも、雪絵さんは園子さんと待ち合わせしました。
お祭りの夜、園子さんが
「来月には、お城の公園で萩を見ない?」
と言っていたのです。この頃はようやく暑さも盛りを過ぎて、雪絵さんの心は弾んでいました。夕暮れの公園に吹く風には、もう秋の匂いがします。
園子さんは心持ち蒼い顔をして公園に現れましたが、雪絵さんを見ると、いつものように朗らかな笑みを浮かべました。二人は暫く公園の中を歩き回ると、萩のひときわ見事な植え込みのそばに並んで腰を下ろしました。
紫色にけぶる長い枝々が風にそよいで、二人に向かっててんでにお辞儀をしているようです。見上げていたら、どこかで虫が鳴きました。
どの位花を眺めていたでしょうか。
「実はね。話さなきゃいけないことがあるの。」
下弦の月が昇って来た頃、園子さんが口を開きました。
「私、今日でお別れしないといけないの。」
「え。」
「この町での仕事はもう終ったから。」
「私の仕事は、南からこの町に春や夏の便りを運ぶことなの。」
雪絵さんは黙って聞いてました。
「もう、北からの便りの精が来て、ちらほらお仕事始めてるのよ。」
「そう。」
「だからもう帰らないといけないの。私がいつまでも居ると、色々こまったことになるから。それにこの頃はもう、私には寒過ぎるし…。分かってたんだけど、どうしても今日まではこの町に居て、一緒に萩を見たかったのよ。」
「また、会える?」
雪絵さんはやっとそれだけ訊きました。
「うん。春と一緒にまた来る。」
明け方帰ってきた雪絵さんは、部屋に掛けてあった着物を眺めました。
水で洗うと流れてしまうつゆ草の汁で、園子さんが描いてくれた模様が惜しくて、何となくお祭りの夜からそのまま掛けておいたのです。
「新しい着物、織ろうかな。」
そんなことを考えながら、雪絵さんが袖に手を触れた時でした。青い柄がふんわり滲んで、すぅっと消えて逝きました。後に残ったのは、元の雪女の白い着物でした。
「園子さん、本当に帰ったんだぁ。」
(あのね、園子さん。私は雪女なんだよ。)
「そう言えば、言いそびれちゃったな。」
「ま、いぃかぁ。」
視界の端の窓枠が、ちょっとだけぼやけて見えました。
「園子さん、またね。元気でね。」
山駆けから戻って来たふぶきが雪絵さんに声をかけました。
「あの子、行ったのかい?」
「え。」
雪絵さんはびっくりしました。
「ええ…。ふぶき、知ってたの?」
「まぁね…。だいじょうぶかい?」
「うん。だって、ふぶきもいるし…。」
「ひとつ訊いてもいいかい?」
「なあに?」
「あんた、あの子が人間じゃないってこと位は、気がついてたかい?」
「え…。うぅん。」
「やっぱりね。」
痛いところをつかれたと思いつつ、雪絵さんは言いました。
「だって。園子さんは園子さんじゃない。」
「…まぁね。」
ふぶきがひとつあくびをしました。
(さぁ、ちょっとだけだけど、私も眠らなきゃ。)
7時過ぎ、雪絵さんはまた学校に出掛けます。