とっぷぺーじにもどる、 まえのおはなしへ、 つぎのおはなしへ
昔々、千鳥山と椿山のずぅっと西の山奥に小さな庵がありました。
この庵にはひとりのおばあさんが住んでおりました。
旅人が山道を歩いていると、かぼそい声のわらべ唄や機織り唄が、どこからともなく聞こえて来ることがあります。
人々はそんな唄を、いつからともなく「やまんばうた」と呼ぶようになりました。
「もみじやまから吹く風はぁ あぁかいわらしをのせてくる
ゆきのやまから吹く風はぁ しぃろいわらしをおってくる
とおい海から吹く風にぃ ばんばのきものは やれはてて
ぱったん、ぱったん、ぱったん、とん、
ぱったん、とんとん、ぱったん、とん…。」
まだふぶきと出会う前、小さな小さな雪ん子だった雪絵さんは、あるとき偶然この機織り唄を聞きました。そして
「あれ、わたしの唄だ…。」
と、ちょっと嬉しくなりました。
それで声のする方にどんどん行くと、積もった雪に押し潰されそうな小さな庵を見つけました。唄はその中から聞こえてきます。
戸の隙間からそっと覗くと、庵の中にはやさしい顔の小さなおばあさんが居て、古い機織り機でのんびり布を織りながら、唄を唄い続けていました。起きているのにまるで夢でも見ているような、今にもふっと消え入りそうな顔をして、それでも微かに笑みを浮かべて、唄い続けるおばあさんに、雪絵さんはじっと見入りました。
どのくらい、経ったでしょう。突然、背中の方でバサバサバサッと大きな鳥でも飛び立つような音がして、雪絵さんはびくんとしました。そしてその拍子に、うっかり庵の土間に、どさっと滑り込んでしまったのです。
びっくりしたのはおばあさんです。
「あれまぁ、めずらしい。白い白いわらしっこだねぇ。 いったい、どこからきたんだい? え?」
雪絵さんが咄嗟に答えられずにいると、おばあさんはふっと笑って
「そうか、そうか、言えねぇか。まぁ、おまえさんみたいな小さいわらしっこでも、そういうこともあるんだなぁ。」
と言いました。雪絵さんはちょっと安心して、思わずにっこりしました。
「あれまぁ、おまえさん、かわいぃねぇ。そんなとこに居ないで、こっちで火にあたるかい?」
雪絵さんが黙って首を振ると、
「なら、とち餅喰うかい?」
これには雪絵さんもほくほくしてうなずきました。
おばあさんが干した笹の葉にくるんでふかしてくれたとちの実のお餅には、ほのかに甘みがありました。
すっかり嬉しくなった雪絵さんは、姐さんたちの言いつけを忘れて、ちょっとおしゃべりになりました。そしておばあさんにあれこれ訊きました。
「ばあちゃん、いつからここに居るの?」
「さぁ、いつからだったかねぇ…。」
「ばあちゃん、どうしてここに居るの?」
「そうさねぇ、他に、行くとこがないからねぇ…。」
雪絵さんが黙っていると、おばあさんは「あははっ。」と笑って、
「まぁねぇ。お山に居れば、食べるのにはこまらんからぁ…。」
雪絵さんも思わずぱぁっと笑いました。
「うん。お山はねぇ、冬にちゃぁんと眠れば、いっぱい実を付けられるって!」
そう言いかけて、雪絵さんが「あっ。」と口をつぐむと、おばあさんは
「そうかぃ。」
とちょっと笑ってから、言いました。
「おまえさん、本当にかわいぃねぇ。わしにも孫やひ孫が生まれてたら、おまえさんみたいだったかなぁ。」
「ずぅっと居てくれると嬉しぃけど、それじゃおまえさんのほんとのばあちゃんが心配するし、わしも悪いばんばになっちまう。いつでも好きな時に遊びにおいで…。」
雪絵さんは黙って頷きました。
今思い出して見ても、小さな囲炉裏の火を起こしつつ、ぽつりぽつりと話していたおばあさんの声は不思議に耳に残っています。
あのひと冬、雪絵さんは何度か、時にはささやかなお土産を持って、おばあさんの庵を訪ねました。
おばあさんはその度に、ちょっと嬉しそうに、でも何でもないように、雪絵さんを迎えてくれました。
「おや、来たかい。」
そして干した魚や木の実を焼いて、色々話してくれました。
次の冬、初めての小雪が舞った頃、雪絵さんは少しばかりの木の実を持っておばあさんを訪ねてみました。
ところが、どこにもあの庵が見当たりません。
「あれっ。」と辺りを見渡すと、ちょうど庵があった辺りの地面やその周りの木の枝が、微かに焼け焦げているのでした。
何があったかも、どうしてなのかも、分かりません。でも、
「あぁ、もう、会えないんだ…。」
それだけは良く分かりました。
「あれ、あれっ。」と思っているうちに、雪絵さんの目から涙がどんどん溢れ 出しました。
その夜は吹雪になりました。