とっぷぺーじにもどる、 まえのおはなしへ、 つぎのおはなしへ
いつもしかめっ面の尾瀬数彦先生は、 千鳥台にある有名私立進学校で、30年以上数学の先生をしています。 もう何年も笑っていません。
数学とか理科が得意な人は大雑把に言って2種類に分かれるようです。
一方は「色んな人が居て、いいんじゃないの?」という人たち。
もう一方は、自分と少しでも違うものの見方をする人は絶対に許せない程の頑固者。
尾瀬先生はまさにこのタイプでした。
ちょっと頑固な人は結構素敵だったりしますが、ここまで来ると困りものです。
例えばこのお爺さん、「自分の意見をちゃんと言いたまえ!」というのが口癖なので
すが…。
相手の言ったことが予想通りでなかったり、自分の考えと違っていたりしたらさぁ大変。
「君は正直にものを言っていない!」とか、「人をばかにするなぁ!」とか言って、
いきなり怒りだしてしまうのです。
そんな風でしたから、この方の授業はまるでお葬式のようでした。みんながオウム
返しに先生の言葉を繰り返し、ノートを取り、自分なりの考え方なんて誰も口に出
さず、一年が過ぎて行く…。
そうしていれば、尾瀬先生はまぁまぁ機嫌良くしているのです。
(でも、数学って本当はもっと楽しいものなのに、もったいないなぁ。)と隣のク ラスの雪絵さんはいつも思います。雪絵さんは実は雪女の末裔なのですが、きょう び雪女稼業も楽ではありません。それになんとなく、人間がするような勉強にも興 味があったので、千鳥山のずっと奥の深い山から川に沿って街へ下りて来て、人間 に化けているのです。そんな雪絵さんの一番好きな授業は数学と生物と歴史でした。
だから今年も数学の担当が尾瀬先生にならなくて、雪絵さんは秘かに喜びました。
けれど、見ためよりずっと長く生きてきた雪絵さんは知っています。こんな数彦先 生にも、千鳥川の河原で蜻蛉取りに夢中になった子供時代があったのを。
顔も性格もそっくりの双子の弟の徹臣くんと、そっくり故に喧嘩したりしながら、 それでもいつも一緒だった日々、数彦少年も良く笑っていました。
それから何があったかは誰も知りません。いつの頃からか数彦くんと徹臣くんは、 人の顔を見ればお互いの陰口ばかり…。やがてふたりとも、いつも何かにイライラ していて、たまに顔では笑っても目は笑わない、自分のしたことだけは絶対に謝らな い、そんな大人になりました。そしてそのまま年を取りました。
人間は雪女よりずっと速く成長して、そして死んでしまうけれど、その間に何度も 変わります。雪絵さんは時々思います。今の、いつでも不機嫌な人のまま、数彦く んは消えてしまうのでしょうか。それとも何かちょっとしたきっかけで、また心か ら笑えるようになるのでしょうか。
ただの雪女でしかない雪絵さんには、先のことは分かりません。それに、まぁ、どっ ちだっていいのかも知れません。
今日も尾瀬先生が「ふんっ。」と鼻を鳴らす音とともに、数学の授業が始まります。