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「ミロのヴィーナス」と言えなくて…

父の定年記念貧乏旅行(?)に便乗して一度だけドイツに行ったことがあります。

その時にカイザー・ヴィルヘルムという名前の聖堂を見ました。
私はこの建物がとても気に入ってしまいました。戦災か何かで破壊されたらしく、昔の写真に比べて大きく欠けたところのある教会でしたが、その崩れた姿がまた、微妙な雰囲気を醸し出していたのです。

彼の地を発つ前、父があちらでお世話になった方に「今回見たでところで一番気に入ったのは何処か?」と尋ねられた私は迷わず「カイザー・ヴィルヘルム」と答えました。

ここまでは良かったのですが、「何故か?」と問われて、片言の英語で「多分、ミロのヴィーナスが腕を喪くしているので却って美しく見えると言われるのと同じだろう。」といったことを答えようとしたところでつまづいてしまいました。

「ミロのヴィーナス」を英語でどう言えばいいのか、当時の私は知らなかったのです。

何か言いかけた手前、途中でやめてケムに巻きたくなかったので、その後数分間、私はあれこれと拙い遠回りをしながら言いたいことを何とか伝えようと格闘しました。相手の方も首を捻りながら、なんとかこちらの気持ちを汲み取ろうと苦労して下さいました。

その時ふと、「あ、これと似たことって、日本でもあるな。」と思いました。

同じ「日本語」を喋っていても、同じものをちょっとずつ違う呼び方で呼んでいたり、かと思うと似て非なるものをたまたま同じ名前で捉えていたりするために、互いに上手く話が伝わらずに右往左往する…。

人間なんて、誰でも多かれ少なかれ、「自分だけの背景」に基づいて言葉を使ってるんですものね。

そんな場合、なまじ「同じ言語」な分、却って始末が悪いことがあります。
悲しいかな、いつでも誰もが「互いの背景の違い」を念頭に置けるだけのゆとりがある訳でもないので、どちらか(若しくは両方)が思い込みで相手の言おうとすることを早とちりして逆上した挙げ句、良く確かめもせずに「もうお前の話は聞きたくない!」なんて言ったり言われてしまったり…。

本来、時には、「互いが同じものをちょっとずつ別の名前で呼んでいること」を知ったり、そこから、「全く意図していたのと違う訳の分からない方向に話が転がって行ったりする」ことも、人と話をする時の楽しみのひとつでは、と思うのですが…。

なかなか上手く行かないけれど、なるべく「手間」を惜しまないようにしたいな、などと、その時ぼんやり考えました。

それはそれとして、例のドイツの方には、最後には何とかこちらの意図が伝わったらしく、「なるほど、貴方の言うことは良く分かった。時には人間のイマジネーションの方がどんな実在の形より美しいことがあるものだ。」などと言って、にっこり笑って戴けて、とても嬉しい思いをしました。その時に「ミロのヴィーナス」は「Venus from Milo」と言うのだと教わったのを今でも妙に良く覚えています。甚だささやかではありますが、「冷汗をかいただけのことはある。」と言うことでしょうか…;)。(*)

(*…研究社のリーダーズ英和辞典には、「Venus de Milo」というイタリア語式の 言い回しが載っています。)


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