ぷろふぁいるのぺーじにもどる、 まえのたわごとへ、 つぎのたわごとへ
最近では、絵を描く時、極力輪郭線をはっきり残さない様にしています。
昔絵を見せた友達が、「輪郭線が目立っていて不自然だ」と指摘してくれたことがありましたので、それ以来かも知れません。けれど、一枚の絵を描き始める時には、とりあえず「輪郭」を取らないと始まらない…。
ですが、この「輪郭取り」が結構曲者なのです。
例えばコスモスの花がある時、その「輪郭」は花を見る角度によって変わってしまいます。「線」だと思った輪郭は実は「面」なんですものね。でももっと良く見ると、本当は花の「表面」では始終液体やら気体やらのやりとりがおこなわれているでしょう。
この世界はどうも、物質濃度やら屈折率やらの、絶えず変化する濃淡で出来上がっているらしい。「輪郭線」は追いかければ追いかけるほど判然としない蜃気楼みたいなもので、人の心の中にしか存在しないのか、などとちょこざいなことをふと思います。
してみると、私の観念と目の前の世界を「区別」して考えれば考えるほど、紙の上には輪郭が描けないことになります。(う〜ん、要するに、単なるデッサン力の無さの言い訳…。)
すると一方で、では、輪郭線のある絵を描く人はそれだけ、ものを見る時自分の心と一体にして目の前のものを受け止めているのかな、などとも思います。
一概には言えませんし、仮にそうだとしてどちらが良いとも悪いともつかないけれど、そんな風に考えると、今はなるべく描かないようにしているけれど、心の中には存在している、そして、沢山の人が実際に紙の上に黒々と描いている輪郭線が、また愛しいものではあります。
ただし、この、「輪郭を変に目立たせない」というのは、実際には未だにあまり上手く出来ていません。また、着彩する絵のためのデッサンの場合は、「ある色とある色の変り目」を線で把握する描き方もあるようです。日本画の場合も、「輪郭線をきちんと描くデッサンをするように」先生に教わりました。大事なのは強い線、弱い線、太い線、細い線を自由に使いこなすと言うことでしょうか。道は遠い…。