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メモランダム・プログラム

大抵毎朝、特に、外部からの強制力を伴う用事の無い、まっさらな日には、机の上にある適当な紙の切れ端に、その日することを思いつく限り書き出して見ることから、一日が始まります。

別に大したことを書く訳ではなく、「仕事のための参考文献をどこからどこまで読む」とか、「これこれの買い置きが切れているので買いに行く」とか、「お家賃を払いに行く」、「(晴れたら)ベージュ系のおしゃれ着をまとめて洗濯する」と言った様なことを、自分にしか分からない、乱暴な字で走り書いておくのです。

たったそれだけの事なのですが、これをしておくと、少なくともそういうことを全くしないよりは、一日を生産的に過ごせるような気がしています。もちろん、書いておいたからと言って、いつもいつも それらを全て こなせる訳ではなく、8割方消化できる日もあれば、半分も手が回らないことも多いのですが。

別に珍しくもなく、多くの人がしていそうなことですが、実はこの「メモを取ってから動く」というのは、私としては、昔身体の具合がどうにも悪くなって、「立っている時には殆んどものを考えられない状態」に陥った時に、苦肉の策として身につけた習慣でした。

当時は具合が悪い原因がはっきりしていなかったため、一度話した時に周囲の人に信じて貰えないと、自分でもそれ以上は、自分の状況をうまく説明出来ませんでしたし、思うように仕事をペースダウンすることも出来ませんでした。それで何時の頃からか自然に、横になったり座ったりしている時に、する必要のあることをざっと思い浮かべて箇条書にしておき、優先順位や、その日の状況や身体の状態に合わせて、手がつきそうなことから片付けて行く様になったのです。

これは(少なくとも自分の中では、)ある程度の成功を修めました。メモを取らなかった時には、毎日全く何の進展のないまま、就業時間がただ始まって終っていってしまうことに焦っていたのですが、当面の課題を紙に書いておく様にしてからは、日々ほんの少しは、意味のある時間の使い方を出来る様になったのです。それは自分にとってはとても嬉しく、ほっとすることでした。いつからか私は、「自分と言うロボット」をプログラムする様な感覚で、メモを取って動くことを楽しむようになりました。(実際、正直なところ、そんなことでも面白がる以外に無いくらい、当時は結構とんでもない状況でした…。)

今思うと、そのためにますます、「身体の具合が悪い」ということを周囲の人に信じて貰えなくなった節もあり、目上の人たちから事実でないことを吹聴されたり、職場の人からの嫌がらせがエスカレートしたりと、良いことばかりではありませんでしたが、この、「メモを取って動く」という習慣は、あの頃より少し元気になった今の私に、とても役立っています。

「素敵だな」と思うことや、出来るようになりたいことの全てにチャレンジする気になれるほどには、もう若くは無いし、基本的に不器用で、二つのことを同時には出来ないし、近年の経験から、周りの多くの人と同じペースでばりばり仕事や家事をするのは自分には無理なのを、思い知ってもいるのですが、それでも、一つ二つは、まだ「自分でしたいこと」があります。
それを実際にして行くためには、ゆっくり少しずつでも、意味のある時間を積み上げて行かなければなりません。
そのためには、パワーに任せて無茶なことが出来た昔よりも余計に、毎日「イメージを作って」動く必要がある様に思われます。例え、毎日壊れては作り直すイメージでも…。

何よりも、「一日フルで活動したら、翌日〜翌々日は寝込んでしまう」という制約が無い生活は、多くの人には当たり前でも、私には、ほんの3、4年前には望めなかった、大変な苦労をして、大事な人たちに沢山お世話になって、試行錯誤と何度かの手術を経て取り戻しつつある、とても貴重なものなので、なるべく無駄にしたくありません。
そんな訳で、理想と予定表は、例えその通りに行かないとしても、いえ、なかなかその通りに行かないからこそ、持っていた方が良い気がする今日この頃です。


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